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宇都宮地方裁判所 昭和32年(わ)307号 判決

被告人 橋本武男 外一名

主文

被告人橋本武男を懲役五年に、同大塚俊雄を懲役二年に処する。

押収してある匕首一振(昭和三十三年(ろ)領第二号)は、これを被告人橋本より没収する。

訴訟費用中昭和三十三年三月二十八日出頭の証人荒川功、同細村長太に支給した分は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人橋本武男は新制中学校を卒業して直ちに宇都宮市花房町所在村田発条株式会社の工員となつた者、被告人大塚俊雄は高等小学校を卒業後自家の農業を手伝い、昭和二十六年頃より同市雀宮町六〇八番地製菓業野沢二三夫方に住込で働くようになり、同年十月と同三十二年十月の二回にわたりいずれも宇都宮簡易裁判所で傷害罪により罰金刑の処分を受けた前歴のある者で、被告人両名は幼少からの友人であるが、昭和三十二年十二月一日午後八時頃被告人大塚は将来結婚する約束を交した柿沼敏子と宇都宮市日野町四三番地昭栄ダンスホールに遊びに行つたところ、間もなく同女は呼出を受け「一寸出て来る」と言つて被告人を残して外出したまゝ三十分余も帰来しないので、同ホール前で待ち受けていたところ午後九時過頃大塚満(当二十五年)等と連れ立つて同ホールへ戻つて来るのを認めるや、嫉妬に燃えた被告人大塚はいきなり附近の路上で同女を殴打した上同行の大塚満に対し同女との関係を問いたゞしたが、却つて同人や同人の友人細村保夫(当時二十五年)等に殴打されたのに憤激し、同ホール前に居合わせた被告人橋本と共謀の上満等に暴行を加え仕返しすることを企て、満等を同ホール西方の路上に連行し同所において被告人大塚は満の顔面を手拳で殴打し、更に被告人等は東方に逃げた満等を追つたが、同人等が右ホール附近に居た者に加勢を求めたので被告人等は同所を通り抜けて東方約四十米の同市大町一六八番地岡埜栄泉事大谷元人方先の十字路まで逃げ、同所において追つて来た満、細村及び手塚久行を相手に乱闘となつたが、その際被告人橋本は上衣内ポケツトより刄渡約十五糎の匕首(昭和三十三年(ろ)領第二号)を取り出して、これを右手に持ち満及び細村の両名を突き刺し、よつて細村保夫に対しその胸骨下部に深さ九糎心臓を貫通する刺創を負わせ同人をして間もなく同一附近において出血多量及び心嚢内凝血塊による心臓圧迫のため死亡するに至らしめ、大塚満に対してはその右腋窩部に全治約一箇月を要する刺創を負わせたものである。

(証拠)(略)

(中略)

なお本件起訴は、被告人橋本は殺意をもつて判示細村及び大塚満を刺したものであるとして、被告人両名の所為は殺人及び同未遂罪に該当するが、被告人大塚は殺害の結果について認識がなく刑法第三十八条第二項により傷害致死及び傷害罪により処断さるべきであるというのであるが、被告人橋本が本件犯行当時殺意を有していたとの点については適確な証拠がないので、判示の如く被告人両名の所為につき傷害致死及び傷害罪の成立を認めた次第である。また被告人橋本の弁護人は、同被告人の所為は急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するため止むなくなされたもので正当防衛の要件を充すのであるが、匕首をもつて刺したのは過剰防衛として刑を減軽すべきであると主張するけれども、前掲証拠によれば同被告人の加害行為は判示認定の通り喧嘩闘争に際し行われたもので、しかも相手は素手であり、同被告人はただ腹を蹴られて立腹し又やられるかとカツとなり匕首を取り出して本件兇行に及んだ事実が認められるので、これをもつて正当防衛又は過剰防衛と謂うことはできないから右弁護人の主張は採用できない。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 菅原二郎 小沢博 桑田連平)

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